REIは日本橋にアトリエを持ち、企画・デザイン・生産に至るまで全て日本国内で行っています。

"レースと日本のものづくり"にこだわり、日本のレース職人さんの手をお借りして、少数生産でオリジナルのものづくりをしています。

機械技術の目覚ましい発達により、現在様々な種類のレースが世界中で安価に大量生産されるようになり、繊細で美しい日本のレースは市場でその姿を見ることも珍しくなってきました。

かつては世界有数のレース産業国と言われていた日本ですが、近年その生産は大幅な減少傾向にあり、歴史あるレース工場がどんどん姿を消しています。

失われつつある日本のレース。
その他にない魅力を伝えていく事は、REIのものづくりにおけるテーマの一つでもあります。

レースの歴史

レース」という言葉は、縄やロープなどで編まれた捕獲用の網を意味するラテン語のラク(LAQUEUE)や古代フランス語のラシ(Lassis or Lacis)が転じたもの、または英語で「しばる」という意味のレーシア (Lacier)から生まれたなど、様々な説があります。
太古の昔、狩猟や漁獲のために用いられていた網や、痛んだ衣類をつくろう「かがり」の技術が、やがて装飾的な意味を持つようになり、私たちの知る美しいレースへと発展していったものと言われています。

ヴェネツィアの刺繍師たちが1540年頃に発明したレティセラをはじめとし、ニードルレースボビンレースがイタリアやフランスで産業化され、やがてヨーロッパ全域に広がっていったのは16世紀半ば頃。

当時はまだ機械のない時代のことですから、レースを作るのはもちろん手作業です。
気の遠くなるような時間と手間、熟練した職人の技術、そして人員が必要でした。
レースのハンカチ一枚が財産目録に載るような、そんな時代だったのです。

レースは権力と贅の象徴として、王侯・貴族に愛されました。
宮廷を訪れる貴族たちにグロ・ポワン・ド・ヴェニーズのレースを身に着けることを礼儀として定めたルイ14世や、フレーズと呼ばれる大きな円形の襟を好んだエリザベス一世。
マリー・アントワネットのレース好きによる浪費はフランス革命のきっかけの一つとなり、革命によって当時のレースはほとんど焼き尽くされてしまったと言われています。

ホニトンレースのウエディングドレスを着用したヴィクトリア女王の肖像画

左は1840年、ホニトンレースのウエディングドレスを着用したヴィクトリア女王の肖像画です。
36人のレース職人さんが一年半かけて作り上げた逸品で、右の写真のように、女王は即位60周年にもこの美しいレースとヴェールを身に纏いました。
それまでカラードレスが主流だった花嫁衣装に白を用いる伝統が生まれたのは、ヴィクトリア女王のウエディングドレスがきっかけと言われています。


18世紀にはじまった産業革命を契機に機械化が進み、複雑な模様のレースも安く大量に作れるようになると、一国の経済を左右するほど高価だったレースという存在が一般市民にも流通し始めました。

1813年にはジョン・リバーによって今日のレースの原型となっているリバーレース機が誕生。20年後にはエンブロイダリーレース機も発明されています。

日本とレース

日本で初めてレースが作られたのは明治5年のこと。
横浜に居留していた外国商により初めてドロンワークの製造が伝えられました。

当時、日本はまだ和装の時代です。
欧化対策の一環として、鹿鳴館では一部の上流階級の貴婦人たちが刺繍やレースのドレスで夜会を楽しみましたが、文明開化はまだ遠く、ほとんどの市民は着物を着ていました。

しかしながら、着物の襦袢や半襟にレースを用いたり、手編みのショールを羽織ったりと、明治の後半には少しずつ、衣類にレースを取り入れる文化は浸透しはじめていたようです。

鹿鳴館での舞踏会の様子を描いた浮世絵鹿鳴館での舞踏会の様子を描いた浮世絵

日本政府と東京府(現在の東京都)による官立のレース教場が設立され、英国人教師のスミス夫人によるホニトンレースの指導が始まったのは明治13年。

横浜に初めて手工レース工場が作られ、新潟ではバテンレースが冬の内職として製作されるようになり、日本の手工レースは大正初期には全盛期を迎えますが、1923年の関東大震災によってほとんどの工場が壊滅的被害を受けてしまいます。

日本にレース機が導入され、本格的に機械レース産業が発展したのは大正時代末期です。
第二次世界大戦後、1950年代には高度経済成長の流れを受けて規模が一気に拡大、輸出入のバランスが逆転し、ついにはエンブロイダリーレース機も国産化してしまいます。
昭和30年代には、道を歩けば多くの女性が総レースのお洋服を着ているのが当たり前の光景になり、レースは女性のファッションアイテムとして定着していきました。

レースの種類

レースには様々な分類方法があり、作られた国や人、地方、技法や材料など、実に180種類もの名称があります。
現在のレースはほとんど機械で作られていますが、いわゆるアンティークレースと呼ばれる手工レースは大きく分けて二種類、ボビンレースとニードルポイントレースに分けられます。

■ニードルポイント・レース

羊皮紙や紙を布地代わりに、針と糸で刺繍を施す技法のこと。
イタリアのヴェネツィアが発祥といわれていますが、日本の唐招提寺にも唐から伝来したレースが所蔵されています。こちらは世界最古のニードルレースと言われており、国宝に指定されています。

■ボビンレース

何本もの糸をボビンに巻き、縒りあわせて模様を組み上げていく技法で、枕の上にピンで留めながら作業をするためピロウ・レースとも呼ばれました。
ボビンレースの歴史は古く、古代エジプトの遺跡から3~4世紀頃に作られたボビンレースがボビンと一緒に発掘されています。

 

 

機械レースは代表的なものでエンブロイダリー機、リバー機、ラッセル機、トーション機からそれぞれ作られています。

エンブロイダリーレース

エンブロイダリーレース機で生地に刺繍加工を施したもの。
刺繍をする生地やその加工方法によって様々な種類のエンブロイダリーレースが作られています。
以下はエンブロイダリーレース機で作られる代表的なレースの種類です。

・刺繍レース
生地に刺繍を施したもので綿レースとも言います。生地全体に刺繍を施すオールオーバーレースや、布幅の一方だけに施すボーダーレース、生地に穴をあけながら穴に沿って刺繍を施すボーラーレースなどがあります。

・ケミカルレース
お湯で溶けるビニロン生地に刺繡を施したあと、生地を溶かして刺繍糸のみを残す技法で作られるレースです。昔は化学処理で生地を溶かしていたため“ケミカル”レースという名前がつけられました。

・チュールレース
チュールに刺繡を施したもの。
フランスのパリ郊外にあるチュール市が名前の由来です。
ウェディングドレスやベールなどにも使われることが多い繊細で華奢な印象のレースです。

リバーレース

細い糸を撚り合わせて複雑な模様を作るリバーレースは、その繊細な美しさから「レースの女王」とも呼ばれています。機械の操作が難しく大量生産が困難なこともあり、希少価値の高い高価なレースです。
1813年にジョン・リバーによって発明されたリバーレース機は現在製造されておらず、限られたメーカーのみがマシンを保有し、伝統の技術を継承しています。

クルーニーレース

英国ノッティンガムの郊外に現存する世界で最も古いレースメーカー「クルーニーレース社」のレース。ロストモーションスポットという、ぷくぷくしたドットが特徴的です。

ラッセルレース

ラッセル編み機で編まれたレースです。
当初は高級なリバー・レースを安価に作るために考えられましたが、近年急速な技術開発が行われ、繊細で高品位なラッセルレースが作れるようになりました。

トーションレース

中世王侯・貴族の間で衿や袖飾りに使用して着飾ったと言われるボビンレースを機械化したもの。ボビンを回転させながらジャガード装置によって柄を出しています。
細幅のレースで、布地の間に縫い合わせたり縁飾りやリボンにしたり、幅広い用途に使用されています。